「看取りだから」で、考えることを終わらせたくない
「看取りの方針になったのだから、あとは静かに見守る」
その言葉に、穏やかな時間を守ろうとする気持ちが込められていることはあるでしょう。一方で、「看取りだから」という言葉が、その人のつらさや希望を確かめることまで止めてしまわないか。私は、そこが気になります。
特別養護老人ホームで働く看護師として、私が言いたいのは、看取りは何もしなくなることではなく、最期まで本人の生活と苦痛に目を向け続けることだということです。
方針が決まっても、目の前にいるのは、いまを生きている一人の人です。
私は、本人の意思を、決まった方針の外側に置きたくありません。
何を控えるかだけではなく、何を続け、どんなつらさに対応し、どう過ごせるよう支えるのか。その中身を考えることが、看取りには欠かせないと考えています。
看取りの意味を共有することと、対応を一律にすることは違う
この記事では、看取りを、人生の最終段階にある人の苦痛を和らげ、尊厳のある生活を最期まで支える関わりとして考えます。
亡くなる瞬間に立ち会うことだけを指しているのではありません。厚生労働省のガイドラインでも、人生の最終段階には、痛みなどの不快な症状の緩和に加え、本人や家族への精神的・社会的な援助を含む、総合的な医療・ケアが必要とされています。mhlw
ただ、看取りの意味を共有できたからといって、一人ひとりへの対応まで同じになるわけではないでしょう。
ターミナルケア、つまり終末期のケアとの違いを、「医療をするか、生活を支えるか」だけで分ける説明にも、私は慎重でありたいです。人生の最終段階を支えるうえで、症状を和らげる医療と、本人の暮らしを支えるケアを、切り離して考えたくないからです。
口の中の不快感、体を動かすときのつらさ、落ち着いて休める環境。そうした日常のことを、医療・ケアチームでどう支えるか。
言葉を説明できることより、その言葉のもとで何をするのかを共有できていることのほうが、現場では問われるのだと思います。
「延命をしない」という一言では、決められない
看取りを「無理な延命治療をしないこと」とだけ説明すると、何をもって「無理」と考えるのかが、曖昧なまま残ります。
点滴、酸素、薬、入院などについても、看取りという言葉だけで、必要か不要かを決めることはできません。何を目的に行うのか、どんな利益や負担が見込まれるのか、本人は何を望んでいるのか。医学的な評価と、本人の価値観の両方から検討する必要があります。mhlw
私は、治療を増やすことが、いつでも本人を大切にすることだとは思いません。けれど、治療を控えることが、そのまま穏やかさにつながるとも決めつけたくありません。
苦痛への対応まで控えてしまっていないか。反対に、本人が望まない負担を重ねていないか。
その両方を問い直せる余地を残しておきたいのです。
厚生労働省のガイドラインは、医療・ケアの開始、行わないこと、変更、中止について、医学的な妥当性と適切性をもとに、チームで慎重に判断することを求めています。「看取りだから」で検討を終えるためのものではないと、私は受け止めています。mhlw
数字を見ながら、その人のつらさを見失わない
看取りについて考えるときも、私は、記録や数値を読むことと、本人の気持ちを聞くことを対立させたくありません。
たとえば、食事量の記録は、どの程度食べられたかを共有する手がかりです。ただ、その数字だけでは、本人が食べたかったのか、食べることがつらかったのかまでは分かりません。
私なら、記録と一緒に、次のようなことも確かめたいと考えます。
- 普段の食べ方や量と、どこが違うのか
- 目が覚めていて、食事に向かえる様子か
- 姿勢や口の中に、気になることはないか
- 食べるときの表情や呼吸に、変化はないか
- 本人は、食べたい、休みたいなどの気持ちをどう示しているか
これは、食べられない理由を一つに決めるための一覧ではありません。食事を続けるかどうかを、この項目だけで判断するものでもありません。
言葉で確かめられることは、本人に聞く。言葉にしにくい場合も、表情やしぐさを手がかりにしながら、こちらの解釈だけで決めつけない。
気づいた変化は、主治医や関係する職種と共有し、本人の状態や希望に照らして検討する。そのための記録であってほしいと思います。
記録を埋めることが、本人を理解したことの代わりにならないようにしたいのです。
一度決めた方針にも、立ち止まる余地を
本人も家族も、いつでも気持ちを整理して話せるとは限りません。職員にも、急な変化への対応や、重なる業務の中で迷う時間があります。
だからこそ、一度説明して同意を得たことを、話し合いの終わりにはしたくありません。
厚生労働省のガイドラインでは、本人の意思は変わり得ることを踏まえ、話し合いを繰り返し、その内容を文書にまとめることが示されています。本人の意思を確認できない場合も、家族等が推定できる本人の意思や、本人にとっての最善をもとに、慎重に検討する手順が示されています。mhlw
家族の思いを聞くことと、本人の思いを家族の希望に置き換えることは、同じではないでしょう。以前の言葉、生活の中で大事にしていたこと、いま示している反応。そのつながりを、できる範囲で確かめたいと考えています。
すべての希望を叶えられるとは限りません。安全確保や緊急対応が必要な場面もあるでしょう。それでも、説明や意思の確認を省いてよい理由に、忙しさだけを使いたくありません。
看取りの方針は、その人について考え終えた印ではないはずです。
今日は何がつらいのか。何なら安心できるのか。いまの関わりは、本人にとってどうなのか。
私、あんぶは、その問いを持ち続けたいと思います。「看取りだから仕方がない」で、本人の声を小さくすることには、慣れたくありません。

注意書き
この記事は一般的な情報と筆者の経験をまとめたものです。
個別の対応は状態や背景によって異なるため、主治医や関係する専門職、
所属施設の手順に相談してください。


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