施設看護

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着替えを手伝っても、その人の「好き」まで代わりに決めたくない

介助が必要になっても、着る服を決めるのはその人自身でありたい。特養で働く看護師が、衣類の出張販売会のニュースをきっかけに、着やすさと本人の好み、記録に残りにくい「選ぶ時間」について考えます。
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介助される姿は、誰かの娯楽ではない――看護師による患者のSNS投稿報道に思うこと

病院の看護師が患者をSNSに投稿していた報道が続いています。特養で働く看護師として、介助される場面は本人が選んで見せている姿ではないことを、記録や数字の見方とあわせて静かに考えます。
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特養の処方箋づくりを、看護師が引き受け続ける前提にしない

本当は医師に処方箋を書いてもらいたい。それでも、限られた診療時間を補うために看護師が入力を担っている。特養の実情から、記載の補助と処方の責任、紙カルテや入力ツール、相談しても変わらないもどかしさをたどり、見直したい役割分担を考えます。
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特養の看取り期の食事は、『何割』より『どう食べたか』で見たい

看取り期に食べる量が減っていくとき、食事量の記録だけで何が分かるのでしょうか。特養で働く看護師が、閉じた口を本人のサインとして受け取ること、食べることも控えることも本人の声を確かめて決めたい理由を、現場の迷いとともに考えます。
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看取り期の「自然な経過」は、何もしないことではないと思う

特養の看取りでよく使われる「自然な経過ですから」という言葉。施設看護師の私が、この言葉を「何もしない理由」にしないために、食事量・睡眠・呼吸の変化をどう見て、本人の声をどう受け取りたいかを、自分の言葉で書きました。
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「食べられるときもある」で終わらせない――特養看護師が考える食事介助と看取り

飲み込みに不安がある人の食事介助で、全部食べることを目標にしてよいのか。吸引が必要な食事をどう振り返り、看取りをどう考えるか。普段の暮らしを見ている特養だからこそ、入院前からチームで話し合いたいことを、施設看護師の立場で書きます。
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看取りは「何もしないこと」ではない――最期まで、その人の生活を支える

「看取りになったら、何が変わるのか」。その戸惑いを、特養で働く看護師の視点から考えます。医療をするか、しないかという二択ではなく、苦痛への対応、日々の観察、本人との対話を通して、最期まで生活を支えるために見失いたくないことを綴ります。
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デイサービスの倒産増加を、現場の努力不足で片づけない

高齢者の介護需要があっても、デイサービスの経営が成り立つとは限りません。倒産件数の集計範囲を確かめながら、利用者獲得の競争、人材難、物価高が重なる背景を整理します。特養で働く看護師の視点から、現場の努力だけに頼らず、本人の暮らしを支えるケアの継続を考えます。
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コロナワクチン、賛成か反対かよりも大切にしたいこと|特養の看護師としての私の立場

尾身さんと泉大津市長の発信を、賛成・反対の二択で受け止めてよいのでしょうか。特養の看護師として、重症化予防、健康被害への支援、数字の読み方、説明する側の責任を考えます。誰を信じるかだけで終わらせず、本人の意思を支えるために確かめたいことを綴ります。
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生産性向上委員会の義務化まで半年。浮いた時間を誰に返すのか

2027年4月から、施設系サービスなどで生産性向上委員会の設置が義務になります。機器や記録の効率化で生まれた時間は、どこへ行くのか。特養の看護師として、その時間を利用者に返すために見ておきたいことを考えます。