特養で個別のケアをお願いするとき、私が感じる難しさ

施設看護

暮らしを支えているのは、日々の介護

特養で利用者さんの暮らしを支えているのは、毎日そばで関わる介護職です。看護師である私が気づけることもあれば、日々の介護のなかでしか見えないこともあります。

食事や排せつ、入浴など、いくつものケアを限られた時間のなかで進めていく。決まった流れがあるからこそ、職員同士が動きを合わせ、仕事を続けられる面があります。

私はその流れに助けられています。だから、利用者さんに合わせた対応をお願いするときも、「必要だからやってください」の一言では済まないと感じます。

お願いによって、誰の仕事が増えるのか。いつ、どのように対応することになるのか。そこを考えずに伝えれば、受け止めにくいのも無理はないと思います。

個別に合わせたい気持ちと、現場の流れ

利用者さんの様子を見ていると、いつもの対応を少し変えたほうがよいのでは、と考えることがあります。

けれど、私が「少し」と思う変更が、介護職にとってはその後の仕事全体に関わることもあります。一人への対応を変えれば、ほかの利用者さんへのケアや、職員同士の役割分担にも影響するかもしれません。

実際、個別の対応をお願いしようとして、強い反発を感じることがあります。そのとき私には、利用者さんのために必要だと思うことが、なぜ伝わらないのだろうというもどかしさもあります。

一方で、相手がどんな段取りで動いていたかを、私が十分に分かっていなかったのではないかとも考えます。

反応が強かったという受け止めと、相手が何を負担に感じたかは、同じではありません。決めつけずに確かめることが、話を進めるための出発点なのだと思います。

「お願い」だけを増やさないために

利用者さんに合わせることは大切です。でも、その言葉だけで現場に仕事を積み重ねてしまえば、続けることは難しくなります。

私がまず考えたいのは、何のために対応を変えたいのかということです。本人はどう感じているのか。今までの方法で気になることは何か。急いで変える必要があるのか、それとも話し合う時間を取れるのか。

そのうえで、介護職が見ていることも聞きたいです。「この方法ならできそうですか」と尋ねるだけでなく、「今の流れでは、どこが難しいですか」と聞く。実際に担う人の見方がなければ、続けられる方法にはなりにくいと思います。

看護師の考えを伝えることと、介護職の負担を軽く扱わないことは、両立させたいです。どちらか一方が我慢して成り立つ対応には、限界があります。

言葉の違いよりも、伝わる形を考える

特養では、さまざまな背景を持つ職員が一緒に働くことがあります。伝える側と受け取る側で、言葉や説明の捉え方が違う場合もあるでしょう。

ただ、個別のお願いが受け入れられにくい理由を、誰かの出身や立場だけで説明したくはありません。何を、なぜ、いつまで、誰がするのかが曖昧なら、誰にとっても対応は難しくなります。

口頭で一度伝えれば十分とも限りません。実際の業務の流れにどう組み込むか、関係する職員の間で同じ理解ができているかを確かめたいです。

私自身も、伝えたつもりになっていないだろうか。お願いする前に、相手が確認しやすい言葉を選べているだろうか。そう振り返る必要があります。

利用者さんのために、働く人とも考える

個別のケアを考えるとき、私は利用者さんの思いを置き去りにしたくありません。同時に、それを担う職員の難しさも見ないふりはできません。

依頼がうまく伝わらないとき、誰かを責めれば話は早いかもしれません。でも、それだけでは、次も同じところで立ち止まるように思います。

本人にとって何が大切なのか。現場では何が難しいのか。できる方法を探すには、両方を言葉にする必要があります。

いつも納得のいく答えが出るわけではありません。私も、お願いする側の伝え方を考えながら、介護職が日々見ていることを聞き、利用者さんに合った関わり方を一緒に探していきたいです。

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