総合病院で働いていた頃の私は、「今、何をしなければならないか」を考えることに追われていたように思います。
検査、処置、点滴、内服、急な状態変化への対応。
時間に追われながらも、必要なことを抜けなく行う。看護師として当然の責任であり、その緊張感のなかで学んだことは今も私の土台になっています。
一方で、特別養護老人ホームで働く今の私は、同じ看護師でありながら、少し違う問いを持つようになりました。
「この方にとって、今日をどう過ごせることが大切なのだろう」
私が言いたいのは、特養の看護は、病気を治すことだけでは測れないということです。
もちろん、体調の変化を見逃さないことも、医療的な判断につなげることも大切です。ただ、それだけでは足りない場面があると感じています。
総合病院では「いま必要な医療」を考えていた

総合病院では、治療を受けるために入院している方が多くいます。
状態を把握し、検査や治療が予定どおり進むように支えること。急変の兆候があれば素早く報告し、必要な対応につなげること。限られた時間のなかで優先順位をつける力が求められます。
そこでは、病気や症状に目を向ける時間が多くなります。
熱はあるか。呼吸状態はどうか。痛みは強くなっていないか。点滴は予定どおり入っているか。検査前の準備は整っているか。
どれも欠かせないことです。
むしろ、曖昧にしてはいけないことばかりでした。
私自身、看護師として「早く気づくこと」「正確に伝えること」「手を止めずに動くこと」を身につけようとしてきました。忙しいなかで判断し、次の行動につなげる力は、病院での経験があったからこそ培われたものだと思います。
ただ、病院ではどうしても、入院生活が「治療のための時間」になりやすい面もあります。
その人が普段どんな暮らしをしていたのか。何を楽しみにしていたのか。どんなことが苦手なのか。そうしたことを知る前に、目の前の治療や処置を優先しなければならないこともあります。
それは冷たさではなく、医療の現場として必要な優先順位です。
けれど、特養に来てからは、その優先順位だけでは見えないものがあると感じるようになりました。
特養では「その人の暮らし」を看る
特養は、治療のためだけに過ごす場所ではありません。
そこは入居者さんにとって、毎日の生活を続ける場所です。
朝に目を覚まして、食事をして、人と話し、眠る。好きな飲み物を口にしたいと思う日もあれば、誰とも話したくない日もあるでしょう。体調だけでは説明できない、その人なりの一日があります。
施設看護師として働く私が以前より意識するようになったのは、数値や症状だけでなく、その人の普段との違いです。
「今日はいつもより口数が少ない」
「食事の量は同じでも、表情が少し硬い」
「呼びかけには応じるけれど、いつもの反応とは違う」
こうした小さな変化は、記録の数字だけでは捉えにくいことがあります。
介護職員からの「なんとなくいつもと違う」という言葉にも、私はできるだけ耳を傾けたいと思っています。もちろん、その感覚だけで医療的な判断をすることはできません。
それでも、毎日そばで暮らしを支えている人の気づきには、その人の日常を知っているからこその重みがあります。
特養では、看護師だけで完結する仕事は多くありません。
介護職、相談員、ケアマネジャー、機能訓練指導員、栄養士、医師、そしてご家族。それぞれが見ているものを持ち寄りながら、その人にとって何がよいのかを考えていく必要があります。
私は、この「ひとりで答えを出さない看護」に、特養らしさを感じています。
「治す」ことだけでは測れない時間がある
病院にいた頃の私は、状態が改善することに看護の手応えを感じていた部分がありました。
熱が下がる。痛みが和らぐ。検査値が落ち着く。退院の日程が見えてくる。
それはとても大切なことですし、今も医療の力を否定するつもりはありません。
ただ、特養では、必ずしも「元の状態に戻す」ことだけが目標になるわけではありません。
年齢を重ね、病気や身体機能の変化とともに暮らしている方にとっては、治療の負担と、穏やかに過ごせる時間のバランスを考える場面があります。
食べること、眠ること、家族と話すこと。
慣れた場所で過ごすこと。
苦痛や不安を少しでも減らすこと。
そうしたことも、その人にとって大切な医療やケアの一部ではないでしょうか。
私は、長く生きることだけを目標にして、その人自身の思いや日々の心地よさを後回しにすることには慣れたくありません。
もちろん、個別の治療やケアについて、外から簡単に正解を決めることはできません。本人の意思、医学的な状態、ご家族の思い、これまでの人生観などを丁寧に受け止める必要があります。
だからこそ、職員側の都合だけで「これが一番楽だから」と決めてしまうことには、私は慎重でありたいのです。
私が変わったのは、看護の範囲ではなく視点かもしれない
総合病院で働いていた私と、特養で働く今の私。
看護師として別の人間になったわけではありません。
病院で学んだ観察力や判断力、報告の大切さは、特養でも確かに役立っています。急な変化に気づくこと、必要な医療につなげることは、施設でも変わらず重要です。
ただ、私の中で変わったのは、「何のために看るのか」という視点かもしれません。
以前は、病気や症状を中心に見ていた時間が長かった。
今は、その人の生活のなかに病気や症状がある、と考えることが増えました。
たとえば、同じ食欲低下でも、単に摂取量だけを見るのか、その人が何を口にしたがっているのか、食事の時間をどう感じているのかまで考えるのかで、見えるものは変わってきます。
すぐに答えが出ないこともあります。
話し合っても迷いが残ることがあります。
それでも私は、数字や手順だけに安心してしまわず、その人の暮らしを見失わない看護師でいたいと思っています。
忙しさのなかでも、暮らしを後回しにしない
特養の現場も、決してゆっくりではありません。
急な体調変化があり、受診の調整があり、家族への連絡があり、記録や多職種との共有も必要です。限られた人員と時間のなかで、すべてを十分に行う難しさがあります。
たしかに、毎日が理想どおりに進むわけではありません。
私自身も、目の前の業務に追われて、もっと話を聞けばよかったと思う日があります。
それでも、忙しさを理由にして、見失ってはいけないことがあると感じます。
入居者さんは、看護や介護を受ける対象ではなく、それぞれの人生を生きてきた人です。
その人の生活を支える場所で働くなら、私は「何をするか」だけでなく、「その人にとってどういう時間になるか」を考え続けたいと思います。
総合病院で働いていた私が得たものも、特養で働く私が大切にしたいものも、どちらも看護の一部です。
ただ今の私は、治すことだけでは届かない看護があると知っています。
そして、そのことに慣れずに考え続ける看護師でいたいと思っています。


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