看取り期の「自然な経過」は、何もしないことではないと思う

施設看護

特養(特別養護老人ホーム)で看取りに関わっていると、「自然な経過ですから」という言葉をよく耳にします。私自身も使います。

食事が減ってきた。眠っている時間が長くなった。呼吸のリズムが変わってきた。

こうした変化を前にしたとき、この言葉は家族にとっても職員にとっても、支えになることがあります。

それでも私は、この言葉を口にするたびに、少し立ち止まりたくなります。

「自然な経過」という言葉の重さ

看取り期とは、一般に、回復が難しいと考えられるなかで、無理な延命よりも穏やかに過ごすことを大切にしていく時期を指します。

いつから看取り期と考えるかは、医師の判断や本人・家族との話し合いを経て決まります。私が一人で決められることではありません。

そのうえで、私が言いたいのは、「自然な経過」は何もしないことではない、ということです。

点滴や経管栄養などの医療的な処置を控えることを選んだとしても、ケアまで控えてよいことにはならないと思います。

むしろ処置が少なくなるほど、本人の小さな変化や、言葉にならない訴えに気づく役割は大きくなるように感じます。

「看取りだから仕方ない」という言葉で、本人が今感じているつらさを見過ごしたくありません。

食べる量が減ることを、どう見るか

看取り期には、食事や水分の量が少しずつ減っていくことが多いと言われます。記録には、主食や副食を何割食べたかを書きます。

この割合は、本人がどれくらい口にできたかを知るための大切な手がかりです。日々の変化を追っていくと、状態の移り変わりに気づくきっかけにもなります。

ただ、数字だけでは分からないこともあります。

食べなかったのは、食べたくなかったからなのか。眠気が強かったのか。姿勢がつらかったのか。口の中が乾いていたのか、痛みがあったのか。食事の形が合っていなかったのか。

同じ「ほとんど食べなかった」でも、背景は一人ひとり違います。

だから私は、割合と一緒に「どんな様子だったか」を記録に残したいと考えています。スプーンを近づけたときの表情。首を振ったのか、口を閉じたのか。好きだった飲み物なら少し口にしたのか。

無理に食べてもらうことが、本人の苦痛になる場合もあります。一方で、まだ食べたい気持ちがあるのに、こちらが先に手を引いてしまうこともあり得ます。

どちらなのかは、数字だけでは見えてきません。

眠る時間が増えたとき

眠っている時間が長くなるのも、看取り期によくみられる変化のひとつです。

記録に「傾眠」と書くことがあります。声をかけたり触れたりすると目を覚ましても、すぐにまた眠ってしまうような状態を指す言葉です。

反応が少なくなると、声をかけずに体の向きを変えたり、口元を拭いたりしてしまいそうになります。忙しい時間帯ほど、そうなりやすいと感じます。

それでも私は、反応が少ない人にこそ、声をかけてから触れたいと思っています。

「これから体の向きを変えますね」
「口の中を少し湿らせますね」

返事がなくても、伝わっているか分からなくても、それは説明を省く理由にはならないと考えています。

看取り期だからといって、説明のない介助を当たり前にしたくありません。

呼吸や体の変化を前にして

最期が近づくと、呼吸のリズムが変わることがあります。

たとえばチェーンストークス呼吸は、呼吸がだんだん深く大きくなったあと浅くなり、一時的に止まる、という流れを繰り返す呼吸です。手足が冷たくなったり、皮膚の色が変わったりすることもあります。

この時期にも、脈拍や酸素飽和度(血液中の酸素の割合の目安)を確認することがあります。

ただ、ここでの数値は、一回の測定だけで良い・悪いを決めるためのものではないように感じています。

表情は苦しそうではないか。口の渇きはどうか。体の向きはつらくないか。そばにいるご家族が不安を抱えていないか。そうしたことを、数値と一緒に見ていきたいのです。

苦痛を和らげるために、医師の判断で薬を使うこともあります。頓用薬(症状や状況に応じて必要なときに使う薬)が、本人を楽にすることにつながる場面もあるでしょう。

使うかどうかは、本人の状態、主治医の判断、多職種での話し合い、施設の手順によって決まります。一律の正解はありません。

本人の思いは、変わっていく

看取りについての意向は、一度確認したら終わり、というものではないと思います。

元気なころに「延命はしなくていい」と話していた方でも、そのときどきで感じることは変わるかもしれません。ご家族の思いも、日によって揺れるのが自然でしょう。

だからこそ、言葉で答えるのが難しくなっても、表情やしぐさ、手を握り返す力のようなものから、本人の今の気持ちを受け取ろうとし続けたい。ご家族とも、何度でも話す機会を持ちたいと考えています。

たしかに現場では、急な体調変化や業務の重なりがあります。看取りの方だけに時間を割けない日もあります。そのことを軽く言うつもりはありません。

それでも、「看取りだから」と本人の声を小さくしてしまうことには、私は慣れたくありません。

日常の延長として

看取り期は特別な時間であると同時に、それまでの毎日の続きでもあると思います。

好きだった音楽、慣れ親しんだ呼び名、季節を感じられる窓の外の景色。看取り期に入ったからといって、そうしたものがその人から消えるわけではありません。

数字は大切です。でも、数字だけではその人は見えません。

私は、記録を丁寧に読みながら、その奥にある本人の暮らしと気持ちを、最後まで見ていたいと思います。

「自然な経過」という言葉を、何もしないことの言い訳にしないこと。それが、私が看取りの場面で守りたいことです。

注意書き

「この記事は一般的な情報と筆者の経験をまとめたものです。
個別の対応は状態や背景によって異なるため、主治医や関係する専門職、
所属施設の手順に相談してください。」

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