働き方についての発信を見ていると、「自分は会社に利益を生んでいるか」という言葉に出会うことがある。
給料を受け取る以上、会社に貢献できているかを考える。自分が売上をつくれているか、仕事の成果を出せているかを振り返る。
その考え方自体は、よく分かる。
でも、特養で働く私が同じ問いを自分に向けると、少し立ち止まってしまう。
私は、特養で働く人の価値を、施設の利益だけで判断したくない。
経営を考えることは必要だと思う
まず、介護施設だから利益を考えなくていい、とは思わない。
施設が続かなければ、入所者の生活を支え続けることはできない。職員の給料も、必要な物品も、建物や設備の維持も、すべてお金と無関係ではない。
無駄な残業を減らす。必要な物品を大切に扱う。記録や申し送りを整え、同じ確認を何度も繰り返さない。職員同士で情報をつなぎ、仕事が滞らないようにする。
こうしたことは、現場で働く私たちにもできることだと思う。
特養は、入浴・排泄・食事などの日常生活の支援だけでなく、機能訓練、健康管理、療養上の世話などを担う生活施設でもある。 その役割を続けるためには、安定した経営が必要だという現実は、見ないふりをできない。
ただ、「経営を支えること」と「職員の価値を利益だけで測ること」は、同じではないはずだ。
利益に換算できない仕事がある
特養の現場には、数字にしにくい仕事が多い。
いつもと表情が違うことに気づく。
介護職から聞いた小さな違和感を、ただの雑談で終わらせずに受け止める。
本人が嫌がっている理由を考え、こちらの予定だけで進めない。
家族の不安を聞き、必要なことが伝わるように言葉を整理する。
職員同士で意見が違ったときに、誰かを責める前に、入所者本人にとって何が大事かを確認する。
こういう仕事は、売上としては見えにくい。何かをした瞬間に、利益が増えるわけでもない。
けれど、特養がただ「業務を終える場所」ではなく、入所者が暮らす場所であり続けるためには、こうした関わりが欠かせないと思う。
介護保険制度も、要介護状態になった人が尊厳を保ち、その人の能力に応じて自立した日常生活を営めるようにすることを目的としている。
私は、この「尊厳」という言葉を、きれいな標語のように扱いたくない。
忙しいから説明を省く。本人が嫌がっていても、職員の都合で急がせる。話を聞く時間を、単なる非効率として切り捨てる。
そんなことに慣れてしまったら、特養で働く意味が薄れてしまう気がする。
「何も起きなかった日」を軽く見たくない
介護や看護の仕事では、何も大きな出来事がなく一日が終わることがある。
予定どおりに食事が進んだ。体調の変化について必要な連絡ができた。落ち着かない様子の人に、関わる職員が声をかけた。申し送りで気になる点を共有できた。
外から見れば、特別な成果がない一日かもしれない。
でも、その当たり前は、自然にできあがったものではない。
誰かが様子を見ていた。誰かが変化を言葉にした。誰かが次の職員に伝えた。誰かが、自分一人の判断で抱え込まなかった。
もちろん、どれだけ気をつけていても、体調変化や事故の可能性を完全になくせるわけではない。丁寧に関われば必ず問題を防げる、という話でもない。
それでも私は、大きな問題が起こらなかった一日の裏側にある仕事を、なかったことにしたくない。
「何も起きなかった」は、何もしなかったという意味ではない。
職員が数字だけで自分を裁かないために
「自分は会社に利益を生んでいるのだろうか」と考える人は、きっと仕事に真面目な人だと思う。
職場の役に立ちたい。自分だけが負担になりたくない。給料をもらう以上、成果を出したい。
その気持ちは大切だと思う。
一方で、特養で働く人が、利益や業務の速さだけで自分の価値を決め始めたら、とても苦しくなる。
今日は予定どおりに進まなかった。
十分に話を聞けなかった。
説明しても、うまく伝わらなかった。
相談を受けたのに、すぐに答えが出せなかった。
そんな日もある。
反省や改善は必要だと思う。でも、反省と自己否定は別だ。
私は、自分の仕事を振り返るとき、「利益を生んだか」だけでなく、別の問いも持っていたい。
入所者の思いを、忙しさを理由に後回しにしなかったか。
職員の気づきを、きちんとつなげられたか。
無理をしている人がいないか、見ないふりをしていなかったか。
自分ができなかったことだけでなく、何を見ようとしたか、誰に相談したか、どう向き合おうとしたかも確かめたい。
経営は手段であって、目的ではない
施設に利益がなければ、ケアを続けられない。
これは現実だと思う。
だから、経営を安定させる工夫を軽く見てはいけない。職員が疲れ切って辞めていく職場は、入所者にとっても、残る職員にとってもよい状態とは言えない。
効率を考えることも必要だ。業務を整理し、無駄を減らし、職員が本当に必要な仕事に時間を使えるようにすることは、むしろ入所者の生活を守ることにつながる場合もある。
ただし、私は順番を間違えたくない。
入所者の尊厳を大切にするのは、利益になるからではない。
本人の暮らしや意思を大切にすることが、介護の中心にあるべきだからだ。
利益は、その仕事を続けるために必要なものだと思う。
私は、特養で働く自分の価値を、利益だけに明け渡したくない。
入所者の小さな変化を見ようとすること。
本人が選べる余地を残そうとすること。
職員同士で支え合い、一人に無理を集中させないこと。
数字にはなりにくくても、こうした仕事を大切にすること。
私は、そこには慣れたくない。
注意書き
この記事は一般的な情報と筆者の経験をまとめたものです。
個別の対応は状態や背景によって異なるため、関係する専門職、
所属施設の手順に相談してください。


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