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  • 特養の現場で感じる「安心・安全」と「本人らしさ」のあいだ

    特養の現場で感じる「安心・安全」と「本人らしさ」のあいだ

    「歩きたい」という気持ちの前で

    特養の現場では、「本人はこうしたい」と「これは危ないかもしれない」が、同時に目の前にある場面が少なくありません。

    たとえば、足腰が弱くなってきた方が、それでも自分の足で歩きたいと言うことがあります。転倒のリスクを考えれば、職員がそばについて見守ったり、時には歩行を控えてもらったりする判断が必要になる場面もあります。

    ただ、その方にとって「自分の足で歩くこと」は、単なる移動ではなく、これまでの生活そのものを保っている感覚に近いのかもしれません。私はそう感じることが、何度もありました。安全を優先することが、その人らしさを少しずつ削っていくように見えることがあるのです。

    正解がひとつではないという前提

    医療や介護の仕事をしていると、「これが正解」とはっきり言える場面は、実はそれほど多くありません。

    安全を優先するべきだと分かっていても、本人の希望を無視することが本当に良いことなのか、私にはいつも迷いがあります。逆に、本人の希望を最優先にした結果、思いがけない怪我につながることもあります。どちらの選択にも、それぞれの理由と、それぞれの痛みがあると思っています。

    こうした場面で私が大切にしたいのは、「絶対にこうすべきだ」と決めつけないことです。本人の希望、本人の価値観、本人が感じている苦痛や安心感、そして医学的な状態。これらを一つずつ丁寧に見ていくことなしに、答えを急ぎたくないと思っています。

    話し合いのなかで見えてくるもの

    こうした迷いを、一人で抱え込んで判断することは、現場ではあまりありません。

    看護師、介護職員、機能訓練指導員、相談員など、それぞれの視点を持つ人たちで話し合う場面が、日々の中にあります。同じ出来事を見ていても、安全面を重視する人、本人の気持ちを重視する人、家族の思いを重視する人で、少しずつ見え方が違います。この違いがあること自体は、決して悪いことではないと思っています。むしろ、一つの視点だけで決めてしまわないための仕組みとして、多職種で話し合う時間には意味があると感じています。

    それでも私がいる現場では、話し合いの結果として、動かさない、歩こうとしたら制止する、という対応に落ち着くことが多いように感じています。誰かの思いだけが置き去りにされないように、できる範囲で対話を重ねることを大切にしたいと思う一方で、現実にはそうならない場面も多いのが正直なところです。

    私自身の考えを言えば、高齢者は転倒する確率がもともと高いものであり、それでも自分の力で動けることそのものに価値があると感じています。本人の意思を尊重したいという気持ちから、多少の転倒リスクがあっても、できるだけ歩いてもらったほうがいいのではないかと思うことがあります。入所される前に、管理者側から転倒のリスクについてある程度説明がなされていることも承知しています。それでも施設としては、転倒はできる限り避けたいという立場になりやすく、結果として「歩かせない」という方向に判断が傾きやすいと感じています。

    けれど、動く機会が減ることで、認知機能の低下が進んだり、本人のストレスが増えたり、下肢の筋力そのものが落ちていく、いわゆるフレイルが進んでしまうこともあります。安全のために 動かさないようにしたことが、別の形で本人の心身に影響していく。この巡り合わせに、私はいつも複雑な気持ちを抱えています。もちろん、話し合いに十分な時間を取れないことも、現実には多くあります。

    職員の都合だけで決めてしまうことへの違和感

    一方で、正直に書いておきたいことがあります。

    忙しさのなかで、本人の希望よりも、職員にとって管理しやすい方法が優先されそうになる場面を、感じたことが多々あります。誰かを責めたいわけではありません。人手が限られ、時間に追われるなかでは、そうなってしまう理由もよく分かります。

    ただ、それでも私は、本人の行動を職員の都合だけで抑えることには、静かな違和感を持っています。安全のための工夫や声かけが必要な場面は確かにありますが、それが「本人のため」なのか「職員の管理のため」なのかは、時々立ち止まって考える必要があると思っています。この感覚を忘れないようにすることが、今の私にできることの一つかもしれません。

    迷いながら、そばにいること

    こうした場面に、明確な答えを出せたことは、正直あまりありません。

    安全を優先した日には、本人の表情が少し寂しそうに見えることがあります。本人の希望を優先した日には、後になって「あれで良かったのだろうか」と考え込むことがあります。どちらを選んでも、迷いが残ることの方が多いように思います。

    それでも、その迷いを抱えたまま、本人のそばにいることに意味があるのではないかと、今は感じています。安全か、本人らしさか。どちらか一つを選び切ることよりも、その都度その都度、本人の思いに耳を傾け続けることの方が、大切なのかもしれません。

    これからも、特養の現場で感じたことを、特定の人や場所が分からない形で、できるだけ正直に残していきたいと思います。